|
不幸にして米国で裁判を受ける身となられた暁には、もてる財力の全てをふりしぼって「超一流」と云われる弁護士を雇うことをなされまし。
夢々タカを喰って「正義が勝つ」などとうそぶいてはなりませぬ。「正義が勝つ」が無いのが米国の裁判の怖さ、でございます。数年後我が国でも採用することになっている「陪審員制」そこに問題がございます。
OJシンプソンやマイケルの裁判で、明らかに「黒」と考えられていた筈の判決が「白」となったケースに見られるように、「陪審員」の間に、今日おいても米国の社会の深層に残る「人種差別」の問題が持ち込まれたとき予想を覆す「逆転の判決」が出ることとなるのでございます。
「竹島」の問題を日韓の陪審員によって審決しているような状況があるのでございます。「逆転の判決」が出る、は人種差別の問題が色濃い裁判に限って、とはならないのが、この「素人が判断する」陪審員制のもう一つの問題点でございます。
判断下すのが「素人」ゆえに、弁護士のパフォーマンスの実力に「結論」が左右されるのでございます。弁護士というと99.9%の有罪率を誇る我が国の検察の前に、単なる手続き屋と化した非力な姿を想像いたしますが、彼の国における超一流弁護士の法廷での立ち居振る舞いは、さながら超一流の舞台俳優のごとし。
思い起こせば20年前、私の米国連邦大法廷での裁判で、陪審員前を前に笑い語り叫び歌うかのような雄弁にして百面相を繰り広げる我が弁護士の姿は男が男に惚れるとはこのこと、この弁護士になら抱かれてもいい、アナル3回までなら、と不覚にも覚悟したほどにそれはそれは見事なものでございました。
命と名誉と金が儲かった迫真の名演技に人は容易に心を動かされるのでございます。マイケルを破産に追い込むほどに巨額な弁護士料をモノにした弁護士かきっと「泣き」まで見せたに違いありません。実際私の弁護士は、大粒の涙を流しそれを手の甲で拭う仕草を陪審員の顔前30センチでしました。
陪審員制度導入によってその恩恵を得る最大の存在は、被害者や加害者、裁判を敏速にとの変革を進める司法当局ではなく、弁護士であります。
他人の不幸で喰う、と陰口を言われる坊さまとの双璧であった汚名を払拭し、正義の味方としてようやく晴れの舞台に立つ機会を得ることとなったのでございます。
吉永小百合のような弁護士の泣きを法廷で見れたら、ホリエモンでも無罪にする、陪審員候補の1人の私でございます。
|