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さて、松本零士を語る上で外せないのが宇宙戦艦ヤマトのプロデューサーだった西崎義展との版権を巡る裁判、通称 『ヤマト裁判』 だろう。
ちなみにせっかくなので西崎という人物についても説明しておこう。
西崎とは、一言で言えばアニメ業界の(良くも悪くも)伝説の人物である。
まず手始めに宇宙戦艦ヤマトを初めとするアニメブームによるバブル時代だった1979年に、2億7,000万円もの脱税が発覚する。
そして1997年9月には50億円近い負債を抱えて破産宣告されてしまう。(不動産などにつぎ込んだらしい)
さらには破産宣告の3ヵ月後の1997年12月に【覚せい剤・ヘロイン・大麻】の『麻薬大三元』が発覚して役満…いや逮捕。翌年に一審で2年8ヶ月の懲役という実刑判決を受けるが当然のごとく上告して悪あがきを見せる。
さらにさらに!破産宣告されてる上に裁判中だというのに自身のクルーザーでクルージングを楽しむという豪気さを見せるが、クルーザーの中に多数の銃器を隠し持っていた事が発覚してまた逮捕される。(拳銃だけでなくM16ライフルやグレネードランチャーまで所持していたそうな)
この時の西崎の言い訳が 「この海域は海賊が出るから、もしもの時に戦うために持っていたんだ!」だったからたまらない。なんというか常人では理解できない思考の持ち主である事だけは分かる。
ただこの話には後日談があり、後に本当に西崎の言う海域に海賊が出て日本人のサラリーマンが拉致されるという事件が起こり、西崎を知る人達は「西崎の言ってた事は本当だったのか?!」と青ざめたという心温まる逸話もある。
話が反れたが西崎伝説はこれだけでは終わらない。
1999年1月に麻薬所持による懲役が確定して受刑者となったが、その翌月に銃刀法違反や火薬類取り締り法違反や覚せい剤取締り違反で再逮捕。これらに関しても判決を不服として粘りに粘るも、2003年の2月に懲役5年6ヶ月という判決が確定した。
そんな年中裁判と収監で大急がしな西崎と、松本氏は気の遠くなるような 『ヤマト裁判』 を繰り返したのだ。
事の起こりは2度目に逮捕された1999年に、西崎がプレステのゲームとして発売された 『宇宙戦艦ヤマトシリーズ』に対し、自身の権利と損害賠償を求めて東北新社やバンダイを提訴した事に始まる。
その直後に松本氏が「宇宙戦艦ヤマトの著作者はオレだよな?」と西崎を提訴し、泥沼の 『ヤマト裁判』 が本格的にスタートする。
その翌年の2000年には西崎が松本氏に対して逆に 「宇宙戦艦ヤマトの著作者はオレだろ?」と反訴し、2002年には「宇宙戦艦ヤマトの著作権は西崎にある」というような内容の判決が出てしまい、松本氏は当然のごとく控訴し、西崎も応戦。
この時ボクらの松本先生は 「西崎は悪魔だ!アイツに味方する連中もゆるさねえ!」 ですとか「オレが居なかったら作品の1コマも存在しねえんだぞ!」 といった大変ハートウォーミングな言葉をマスコミに対して漏らして下さった。
こうした訳の分からなくなる泥沼裁判が繰り広げられた結果、2003年に西崎と松本氏が法廷外で和解し、翌年2004年には西崎と東北新社・バンダイとの間に西崎の事実上の敗訴とも取れる和解が成立した。
この数年間に及ぶ魑魅魍魎が跋扈するかのような裁判が 『ヤマト裁判』 なのである。
という訳で、槇原氏をマスコミを使って批判した松本氏ではあるが、その根幹にはこうした権利を巡る泥沼劇があったという事は頭に入れておいた方がいいかもしれない。
この辺に関しては 「人に恵まれなかったんですね…」 と松本先生に同情したくなる気がしないでもない。
荒井禎雄(おはら汁)
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